呼べるか呼べないか
「共感」と「同情」
ともに本来の語義は「相手と同じ気持ちになる」みたいな感じだと思うんだけど
なんで「共感」は「共感を呼ぶ」って言い方するのに「同情」は「呼ぶ」じゃないのかなって思って考えてた
「相手」と「相手と同じ気持ちになる人」がいたとして、後者が前者と同じ体験をしたことがあるかどうか、が鍵かなと思った
「同じ気持ちになる人」がかつて感じたこと、思ったこと、体験したことの記憶やそれに付随する心情を呼び起こすきっかけをもたらすのが「共感を呼ぶ」
相手の気持ちを自分が感じたことはないけれど相手の気持ちを汲みたいと思うのが「同情する」
「相手と同じ気持ちになる側」が、本当に「相手」の気持ちに寄り添うことができるのは共感しているときだと思うし、だからこそ同情はどこか薄っぺらいものに見えがちなんだと思う。
共感を呼びたければ、「同じ気持ちになってもらいたい人」との共通点を見つけ出すのが一番いいんだろうな。
でも自分がいろんなことを感じていなければ、他人と共感しあうこともできない。
ねよう。