はやおきできない

頭の中で考えたことをきちんと文章にしたい。

今週のお題「2016上半期」

2016年を迎えてからもう6ヶ月。

上半期振り返ろうにも振り返るほど思い出が多いわけでもない。

 

思い返せば、2016年3月31日までは私も大学生。4回生までダラダラしていたツケが回り、4回生の一年間で50単位近く残った単位をとりきってなんとか卒業できた。4回後期ではそこらへんの1回生より多く大学に通った。今でもたまに「私の卒業証書パチモンじゃないかな」と不安になる。

 

3月初旬、友人と彼氏と行った卒業旅行の2日目に私の卒業が確定し、そのときやっと名目通り卒業旅行となった。私の中では一生の思い出です(いろんな意味で)

 

 

4月から社会人になった。職場は好きだし周りの人とも楽しく過ごせている。私の同期は20人弱いるが、勤務地がバラバラなため普段会うことは全くない。関東あたりには10人以上いるから彼らはそこそこコミュニケーションを取っているんだろうけど、関西にいるのは私だけなので同期の誰とも面と向かって話すことがない。

 

つい最近、関東にいる同期から連絡があった。仲がいいと(一方的に)思っている人から「最近どう?」とメッセージが送られてきて、『同期と話せるチャンス!』と喜んだ。

 

特に話したいこともなかったが、当たり障りない話題からスタート。少しずつ会話が進むうちに「あっやばいぞ、こいつめっちゃ愚痴言うやつだ」と気づいた。

 

愚痴を聞くのが嫌なわけではない。

4月に一緒に入社した同期と2ヶ月ぶりに話した内容が愚痴だったのが、面倒に感じられただけだ。

 

こいつ、入社してから毎日こんなに愚痴溜めながら仕事してて大丈夫?生きれる?てか毎日そんなに嫌なことあるの?大丈夫?と思った。そして、奴は奴なりに思うことがあるんだろうなと思った。たぶん私じゃなくても誰かに聞いてもらえればそれでよかったんだろう。

 

 

 

上半期の振り返りのつもりが最近の出来事で終わりそうなので、やることリストでも書いとく

 

 

《これからやること》

英語のお勉強

会計のお勉強

旅行に向けて貯金

カメラ購入に向けて貯金

自動車学校

運動

植物園と美術館と山にゆく

ちゃんと本を読む

海で泳ぐ

 

 

《すでに3日坊主になったこと》

家計簿をつける

毎日英語を聞く

日記をつける

腹筋 筋トレ

 

 

 

《やろうと思ってまだやってないこと》

御朱印あつめ

1人映画

好きな本についてちゃんとコメント書く

ドライブ

海で泳ぐ

 

 

2016年下半期も、当たり障りなく楽しく過ごせますように

げんぱつ

高浜原発のニュース見た。いろいろ思うところがあった。


勝訴とか判決の理由とかその意義とかそういったことを知って、自分のこととして考えるのはとても大切。私たちがこれから生活したり働いたりする中で、エネルギー問題を切り離して考えることはできないから、これからの先行きをしっかり考えるべきだと思う。(実際には私はあまり考えられていないけれど)


私はまだ大学生で、一応これからの日本を支えたり役割を担ったりすべき存在。家庭を持って子供を産むかもしれないし、そうなったら電気代などの家計や原発の安全性をより気にするようになるだろう。やっぱり気にかけておくべき話題なのかな、と改めて感じた。


ところで、勝訴のあとに開かれた会見に参加していたのが、比較的お年を召した方ばかりだったのはなんでだろう。話す側も会見を聞く側も、見たところ50代以上の方ばかり。おそらく、若者は手で数えられるほどしか居なかったのではなかろうか。(記者の方々を除く)


これって、勝訴側を支持する若者・壮年の人たちは平日の昼間だから仕事や学校などで会見や裁判所前の集まりに参加できなかったのだろうか。

あれだけ声高に主張して裁判にかけて、いざその結果が出る!って日にその場に居られないのってすごくもどかしくて悔しい。はず。お休み取りたくても取れなかったんだろうか。

それとも、本気で挑んでいたのは年配の方々だけだったんだろうか。



あと、「司法は私たちの味方」みたいな紙を持っている方がいたけど、司法は人間を憐れむことなんてしないし味方でも敵でもない。法に従っていないもの、法に触れているもの、法の中で正しくないとされるものにしかるべき答えを渡すだけ。だから、原発側がとてもきめ細やかな対策案、実行計画、その他もろもろの想定をきちんとこなせていたとしたら、この判決だって容易に覆ったんだろうな、と。


今は再稼動反対の声が強く大きく聞こえるし、やっぱり安易に賛成を容認するのは危険だと思う。だけど絶対、いつかまた原発に頼る日が来ると思う。そうしないと人間が生きていけなくなる日が来ると思う。でもその日までにきっと、安全策もできていると思うしできていてほしい。

呼べるか呼べないか

「共感」と「同情」
 ともに本来の語義は「相手と同じ気持ちになる」みたいな感じだと思うんだけど


なんで「共感」は「共感を呼ぶ」って言い方するのに「同情」は「呼ぶ」じゃないのかなって思って考えてた


「相手」と「相手と同じ気持ちになる人」がいたとして、後者が前者と同じ体験をしたことがあるかどうか、が鍵かなと思った


「同じ気持ちになる人」がかつて感じたこと、思ったこと、体験したことの記憶やそれに付随する心情を呼び起こすきっかけをもたらすのが「共感を呼ぶ」

相手の気持ちを自分が感じたことはないけれど相手の気持ちを汲みたいと思うのが「同情する」


「相手と同じ気持ちになる側」が、本当に「相手」の気持ちに寄り添うことができるのは共感しているときだと思うし、だからこそ同情はどこか薄っぺらいものに見えがちなんだと思う。


共感を呼びたければ、「同じ気持ちになってもらいたい人」との共通点を見つけ出すのが一番いいんだろうな。


でも自分がいろんなことを感じていなければ、他人と共感しあうこともできない。



ねよう。

【切り絵】切り絵始めてみました

以前からずっと気になっていたので切り絵を始めてみました!

【素材】(Web検索して拾いました)
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【完成】
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なんとか完成しました!
いつか、もっと細かい作品に挑戦したいです!

「百年文庫」シリーズが好き

大学図書館で最近よく借りているのが「百年文庫」シリーズ。


百年文庫|ポプラ社

 

一冊ごとにテーマが決められており、漢字一文字でテーマが表されている。

一冊につき三作品。百冊あるらしいので、全て読めば三百作品。

表紙の装丁も綺麗で、初めて見た時から気に入っている。

いろんな作家の文章に出会うことができて、とても楽しい。

 

 

大学卒業まであと一年、すべての作品を読み切りたいなと思っている。

今読み終わっているものが「黒」「宵」「異」「惚」「灯」の五冊。

できれば、一冊ごとに感想を書いていきたい。もう読み終わっているものも含めて。

 

 

読み終わった時には、好きな作品、好きな作家、好きなテーマが見つけられているといいな、という期待も込めて、これから読み進めていきます。

放牧場は「自由」のわかりやすい形だとおもう

バイトから帰るとき原付に乗りながら、なぜか「自由」について考えてた。
先日下宿中の友達の家に遊びに行って、一人暮らしってなんか自由でいいよなって感じたのを思い出したからだと思う。

自由って何かなーから始まって、無責任≠自由とか、ルールがあってこその自由だよなとか、要素を出していってふと思いついたのが「放牧場」だった。
牛とか羊とか家畜を肥育するために設けられた広い場所。

私のイメージでは放牧場は柵で囲われていて、でも柵でどこまで囲われているのかぱっと見では把握できない。家畜は柵の外に出ることはできないけど、出なくても充分に生きていけるだけの広さの土地を与えられている。
食べるものはそこらへんに生えている牧草とか雑草で、好きな時に好きな場所で寝ることができる。
親や子供、同じ仲間たちと一緒に過ごすことも、離れて過ごすこともできる。
もし怪我をしたり病気になったりしたら、それに気づいた人間が手当てしてくれたり治療してくれたりする。
そんな印象。


まあ、家畜と人間を一緒くたにして考えるのはいろいろ間違ってるとは思うけど、環境だけに着目すれば、これは「自由」な世界なんじゃないかと思った。
あくまで家畜にとって、だけども。


柵は、行ってはいけない場所に行かないように制限するためのもの、つまりは規律やルールそのものだと思う。
制限する理由は、自分たちの身を守るため。外からの危険を遠ざけるため。自らの命を守るため。
でも柵内の土地の面積自体は広大で、狭苦しくない。

生きるために必要なもの(衣食住)が揃っているし、何か問題が発生した時にも頼れる何かが存在する。

仲間や親族などのコミュニティに属しているし、一定の距離を保つことも近寄ることも選べる。

「自由」のために必要な要素はもっとあると思うし、それらが複雑に絡み合って成立するんだと思うけど、放牧場っていう環境は一つの簡素な自由空間なのかなーって、原付に乗りながら思った。

その中で生活していく存在のことだけを考えるなら。

【読書】「嫌われる勇気」を読んだ

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 ずっと前から読みたい読みたいと思っていたのをやっと購入した。

周りの友達(意識高い)の感想を聞く限りではとても面白そうだったし、

タイトルも気になる文だったのに今まで買わずにいた理由がわからない。

 

読み始めたときから思っていた事としては、とても読みやすいということ。

この本の中で用いられている対話型の書き方は、本格的にその分野について

学んでいる人とか既に知識のある人にとっては稚拙に思えるだろうけど、

初心者やすぐに要領を得たい人にとってはいいのかもしれない。

 

これからの人生に活かしていきたいと思った点は、

「課題分け」と「目的論」の2つ。

 

今自分が他人に対してとっているスタンスは「介入」にあたるのか

それとも「援助」にあたるのか、そういう視点で自分の行動を考えたことが

なかったので、この分け方は私にとって新しいと思う。

自分の考え方、接し方を変えてみるだけで、いろんなことが

もっとシンプルに、気負わずともよくなる、っていう考え方は

これから私の将来にプラスの影響を与えてくれるんじゃないかなと思う。

 

目的論に関しては自分の中で疑問がいくつかあって、

一つは「なぜ人間は原因論に基づいた考え方をするようになるのか」

原因論は確かにわかりやすい。過去の自分と今の自分がつながっていて、

過去の自分が体験したことや感じたことが今の自分を形成している。

ではなぜ私たちは原因論に基づいて物事を考えているのか。

原因論に基づいた思考をする親や周囲の影響を受けたからだろうか。

ではなぜ彼らは原因論に基づいた考え方をするようになったのか。

目的論が(少なくとも私の周囲では)一般化していないのはなぜか。

この本が多くの人の意識を変えたり影響をもたらしたりすることができたのは

この本の内容が今まで考えもしなかったようなものだったからだと思う。

こういった考え方もあるんだな、と気づくきっかけを自ら作ることは

できないのだろうか。とか。